シャワーする吾は賞金稼ぎなり
松山俳句ポスト 兼題「シャワー」で「並」に選んでいただいたうちの一つ。
「シャワー」などという季語は身近なのでどうにでもなるかと思ったのだが。
作り始めてみると、なかなかこれが上手くいかない。

季語に関しての理解というか、季語とはなんなんだ?って事をまた考えてみる。
俳句にとっての命は季節感だと勝手に思っていて。
日本という風土に生まれ育った特権として、そして責務としてこの季節感を詠みたい。
って、のが根底にある自分の俳句観。

なのだが、いかんせん稚拙というか未熟というか、志は良いのだが。
全くもって発想も技術も伴わないわけでして。
まぁ、色々思いを巡らす中で、厳密に季語をどう捉えるのか。
って、疑問を持つ事になる。

で、早速組長に質問してみたら、ちゃんと答えていただいた。
余談だが、こうなると完全に結社のやりとりみたいな感じなのだがどうなんだろ?
ある意味、宗匠に直接質問を投げて答えて頂けるって凄い事のだと思う。

2014-05-28_1833


疑問は書いたように二つあって。
その季語を示す言葉は表現されているが別のモノを示している可能性がある場合どう考えるのか。
もう一つは比喩としてそれが使われている時にどう考えるのか。

因みに私の持っている歳時記によると。



[シャワー]三夏 夏 生活
浴室などの高いところに如露のような水の噴出する仕組をつくり、蛇口をひねると、全身に水のしぶきがかかるようにしたものがシャワーであるが、この頃は手で持つシャワーも出ている。水または湯が出るので上がり湯にも用いるが、夏の暑い時、また疲れた時など行水代わりに簡単に水浴が出来て便利である(p143)

なるほど~、ってか普通の解説だな(笑)
「この頃は手で持つシャワー」って書いてあるのが笑える。
ようするに、人間が水又は湯を浴びる装置の事だよね。
組長が書かれているように、この歳時記の「シャワー」には傍題が無い。
何となく思うに、この解説だと「シャワーヘッド」とか「シャワー室」の類は許されるのではと推測される。
ただ、これが「シャワーキャップ」になるとちょっと意味合いが違うのかな?とか。
なんとも微妙な感じ(笑)

ではと、もう一冊、歳時記の大判を開いてみる。

日本の歳時記
宇多 喜代子
小学館
2012-01-25


こちらの「シャワー」を見て、ちょっとヒントが貰えた。
というのは。
この歳時記では「シャワー」は生活と行事の晩夏に分類されている。
しかも「行水」という季語の傍題として「シャワー」がある。
とすると、水や湯を浴びる行為の事が季語として表現される必要があるのかな。

えっと、今回の事で進んだ自分の理解を整理すると。
①存在としての季語は少し厳密にする必要がある。
②比喩としての季語は意味合いが異なる。
③名詞+する はOK

こんなところでしょうか。

写真は「シャワー」の親題(?)が「行水」というところで合わせてみました。
賞金稼ぎってのは、なんか西部劇のシーンでテンガロンハットかなんかを壁にかけてシャワーしている怖い人を思い出しました(笑)


[写真解説とデータ]
カメラ:SONY RX100
露出時間:1/100
絞り:
F値:f/4.9
ISO:320
WB:自動
露出プログラム:オート
露出バイアス:±0






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