こんな写真×詠んでみた

2013年7月突如出会った新しい芸術表現。 写真と俳句をコラボさせた 「フォト×俳句」 どちらも全くゼロからのスタートです。 作品作成のプロセスや結果を徒然なるままに・・・

2014年05月

日盛りに変わる事無きパン屋かな
たしか、山本健吉だったと思うのだが、俳句の俳句たる条件として。
「挨拶」「滑稽」「即興」の三つの要素を上げていたと思う。

この中でやはり難しいのが「即興」というやつだな。
おそらくその原因は季語の在庫不足(笑)
なかなか、趣のある季語を使い回す事が出来ない。
なので吟行の時にはだいたい追い詰められていって天文か時候の季語でお茶を濁す。

俳句はスタートから3年くらいは初心者と呼ばれるレベルだというのも解る。
最低三回くらい季節を通らないと流石に覚えきれない。
っていうか、3年でも無理じゃね?みたいな。

そういえば、俳句ポストの「蛍」という兼題も、今日になって「蛍見」という季語が別にあることに気がつき愕然としたりして。
「蛍」は動物で「蛍見」や「蛍狩」は行事の季語。
当然、ここは明確に使い分ける必要が出てくる筈。
これじゃまた火曜日送りだ・・・(泣)

誰かに『山走子くん、ではここで一句お願いします』と言われたときに。
スラスラと口をついて佳句が出てくる時はやってくるのだろうか・・・
即興で季語をパーフェクトに使いわけるような自分になりたい。
もうすぐ「フォト×俳句」を始めて11ヶ月が過ぎていく。


[写真解説とデータ]
カメラ:RICOH GR
露出時間:1/90
絞り:5
F値:f/5.6
ISO:100
WB:自動
露出プログラム:絞り優先
露出バイアス:±0





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南吹く海抜零を歩きけり
まいまいクラブで選外となった作品。
これ、本人的には写真が凄くお気に入りで。 
GRのブリーチバイパスという手法で色を自動調整している。 
フィルムカメラの時代は現像の段階で銀抜きとか銀飛ばしという技だったとか。

川沿いの散歩道が満潮になって溢れている。
そんな朝の様子を写した一枚。
これにどんな句を付けたものかた散々悩んだのだけど。
湘子様のパターン4の、けり俳句に仕立てた。

湘子様も仰っているように、このパターン4は完全なる言い切り。
自分的には言い放つイメージなんだけど。
どうだ~! みたいな(笑)

誰かに選ばれなくても自分で気に入っているから全然良いのだが。
この辺りに関しては今後考えなければいけないところで。
小川軽舟さんが俳句は魅了する詩型の中で興味深い事を書かれている。

俳句は魅了する詩型 (角川俳句ライブラリー)
小川 軽舟
KADOKAWA / 角川学芸出版
2013-12-05


つまり、俳句作者が自らの作品を読んでくれる最高の読み手として選んだ相手が師なのであり、俳句を作って師にそれを読んで貰うことが俳句における師弟関係なのである(33%)。

Kindleなのでページ数を示す事が出来ないけど。
上の緑の文字の部分が引用です。
これは、俳句における師弟関係のところの記述なんだけど。
基本的に俳句の作者は結社に所属して宗匠の元で句作に励む。
自分の作った俳句の第一の読者は師であり、その師の懐目指して句作に励むという原則。
これは俳句の価値というものが読み手の技量というか価値観に強烈に作用されるものだという事に根ざしている。
なので、句会では互選で何人にも選ばれる事より、宗匠一人に選ばれるか否かが重要となる。
誰一人として選ぶ者がいなかったとしても、師である宗匠が選べばその句の価値は上がる。
それはそうだよな。と納得。

ところで、今の自分の事を考えると特定の結社に属しているわけではないし、今の所そのつもりも無い。
ネットや雑誌に投稿して掲載されたか否かに一喜一憂している状態で十分幸せだったりもする(笑)

・・・・ん?
自分で何を書こうとしたのか、その趣旨が解らなくなった(爆)


良いんです・・・何週続けてボツになっても(笑)
いくらボツになったって、ここで発表することが出来るし。
自分で色々解説出来るし、講釈できるし。
自画自賛の自己満足で十分っていえば十分だし(笑)



[写真解説とデータ]
カメラ:RICOH GR
露出時間:1/250
絞り:6
F値:f/8
ISO:100
WB:自動
露出プログラム:絞り優先
露出バイアス:±0






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シャワーする吾は賞金稼ぎなり
松山俳句ポスト 兼題「シャワー」で「並」に選んでいただいたうちの一つ。
「シャワー」などという季語は身近なのでどうにでもなるかと思ったのだが。
作り始めてみると、なかなかこれが上手くいかない。

季語に関しての理解というか、季語とはなんなんだ?って事をまた考えてみる。
俳句にとっての命は季節感だと勝手に思っていて。
日本という風土に生まれ育った特権として、そして責務としてこの季節感を詠みたい。
って、のが根底にある自分の俳句観。

なのだが、いかんせん稚拙というか未熟というか、志は良いのだが。
全くもって発想も技術も伴わないわけでして。
まぁ、色々思いを巡らす中で、厳密に季語をどう捉えるのか。
って、疑問を持つ事になる。

で、早速組長に質問してみたら、ちゃんと答えていただいた。
余談だが、こうなると完全に結社のやりとりみたいな感じなのだがどうなんだろ?
ある意味、宗匠に直接質問を投げて答えて頂けるって凄い事のだと思う。

2014-05-28_1833


疑問は書いたように二つあって。
その季語を示す言葉は表現されているが別のモノを示している可能性がある場合どう考えるのか。
もう一つは比喩としてそれが使われている時にどう考えるのか。

因みに私の持っている歳時記によると。



[シャワー]三夏 夏 生活
浴室などの高いところに如露のような水の噴出する仕組をつくり、蛇口をひねると、全身に水のしぶきがかかるようにしたものがシャワーであるが、この頃は手で持つシャワーも出ている。水または湯が出るので上がり湯にも用いるが、夏の暑い時、また疲れた時など行水代わりに簡単に水浴が出来て便利である(p143)

なるほど~、ってか普通の解説だな(笑)
「この頃は手で持つシャワー」って書いてあるのが笑える。
ようするに、人間が水又は湯を浴びる装置の事だよね。
組長が書かれているように、この歳時記の「シャワー」には傍題が無い。
何となく思うに、この解説だと「シャワーヘッド」とか「シャワー室」の類は許されるのではと推測される。
ただ、これが「シャワーキャップ」になるとちょっと意味合いが違うのかな?とか。
なんとも微妙な感じ(笑)

ではと、もう一冊、歳時記の大判を開いてみる。

日本の歳時記
宇多 喜代子
小学館
2012-01-25


こちらの「シャワー」を見て、ちょっとヒントが貰えた。
というのは。
この歳時記では「シャワー」は生活と行事の晩夏に分類されている。
しかも「行水」という季語の傍題として「シャワー」がある。
とすると、水や湯を浴びる行為の事が季語として表現される必要があるのかな。

えっと、今回の事で進んだ自分の理解を整理すると。
①存在としての季語は少し厳密にする必要がある。
②比喩としての季語は意味合いが異なる。
③名詞+する はOK

こんなところでしょうか。

写真は「シャワー」の親題(?)が「行水」というところで合わせてみました。
賞金稼ぎってのは、なんか西部劇のシーンでテンガロンハットかなんかを壁にかけてシャワーしている怖い人を思い出しました(笑)


[写真解説とデータ]
カメラ:SONY RX100
露出時間:1/100
絞り:
F値:f/4.9
ISO:320
WB:自動
露出プログラム:オート
露出バイアス:±0






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彼の地より戻りましたと雲の峰
なんというか、ほんと一瞬の景色ってのが案外多いもので。
今これを写しておきたいなと思った時にスッと撮影したい。
そういう用途では私の愛機RICOH GRは最強のスナップシューターなのである。

デジイチを買おう買おうと思いつつも、結局これには勝てないだろうな。
なんて勝手に決めつけて買わないでいる。
負け惜しみでなくて、こいつは凄いのである。

センサーはデジイチ中級機に搭載されているAPS-Cでサイズはジーパンのポケットに入るコンパクトさ。
それより何より、おっ!と被写体を発見してからシャッターを切れるまでの時間がほとんど無い。
つまり、電源を入れてからシャッターを押すまでがストレスフリーなのである。

そして多才な設定が可能で、今は露出ごとに±3の範囲で同時に3枚撮れる設定にしてある。
とりあえずシャッターを切っておいて適正露出は3枚の中から選べるってわけ。
他にも便利機能満載。

ズームが無いのが弱点とも言えるけど、逆言えば割り切りが出来る。
そんな写真は撮らないと決めればそれまでだ(笑)

今日はお昼ころに見事な入道雲が出ていた。
空の透明度も高くて。
こりゃ良いやって景色。
近所で食事をした後、車を止めてカシャッ!



[写真解説とデータ]
カメラ:RICOH GR
露出時間:1/2000
絞り:4.3
F値:f/4.5
ISO:100
WB:自動
露出プログラム:絞り優先
露出バイアス:±0

この写真をMacのモニターで見るとメチャメチャ綺麗なのであった。
それだけでもMacを買った価値はあるな。





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薫風や海に呼ばれし散歩道
俳句を作ったり「フォト×俳句」に仕上げたりそのプロセスでメタファーを多用している。
もともと、何かを何かに例えて説明するのが得意だし好きだし評判も良いのですぐメタファーを使いたがるのが癖。
それはそれで良いのだけど。
俳句の場合はどうも違うようだ。

勝手に師と仰ぐ藤田湘子様は、この辺りには厳しい。
特にその擬人法については苦言を呈しており、あちこちに文字としても残っている。

こちらの本では、擬人法は悪句の根源と戒めている。





擬人法は見事に決まればこんな気持ちのいいことはないのだが、私は百回に一度、いや千回に一度決まれば、上等と思っている
つまりそれほど難しいのだ。いまの俳壇の悪句の根源に擬人法あり、私はそう信じてうたがわない。(P151)

何がいけないのか実はよく解らなかったりするのだが σ(^◇^;)
とにかく手厳しいことは間違い無い。
何句か例句を上げて解説しているけど、自分が読んだらなかなかだと思われる句が並んでいる。
句会なんかに行ったら多分積極的に頂いてしまうかも。
自分が擬人法が好きだということもあるのだが(笑)

湘子様が言うのだから控えた方がよいのだろうが。
ついつい無意識に使ってしまうのであった。

掲句であれば「海に呼ばれし」が擬人法に該当するわけで。
こういう表現を湘子様は根底に作者の悪しき知的はからいがある。
しいて言えば人情噺的な欲情。
と、一刀両断されてしまうのであった。


[写真解説とデータ]
カメラ:RICOH GR
露出時間:1/350
絞り:6
F値:f/8
ISO:100
WB:自動
露出プログラム:絞り優先
露出バイアス:±0





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